アムステルダムの春 

アムステルダムの春

今年も、アムステルダムに日本の春がやってきた。

家の近くの運河沿いには、ソメイヨシノと(たぶん)桃(梅かも・・もしかするとアーモンドかも!?)が並んでいて、毎年「日本の春」を満喫している。

以前、アムステルダムのフォトギャラリーのオーナーがこんなことを言っていた。
「僕は、日本人の風景写真のファンだ。全く日本と無関係な風景の写真でも、たいていの場合、日本人の写真家のものがどれかわかる。日本人特有の自然との距離の取り方、あるいは自然との関係性の持ち方が写し出されているように見えるからだ。
人々の生活も、自然と密着して生きるというより、営みの波長が同調していると強く感じさせられた。
桜前線の訪れに、僕の目にはヒステリックにすら映るほど沸きあがる日本を目の当たりにしたとき、彼らは美しい対象物として桜を愛でているのではなく、桜の開花を喜ぶ自らの存在も含めた自然を祝福しているように見えた」。
「神の代役」という壮大な役割を果たすかのように、国土をつくり、砂地に木を植え森を育て、それらを大切に管理しコントロールするオランダ人にとって、「自然」は愛でる対象だ。

桜の季節になると、いつも彼の言葉を思い出し、両国の対極的な自然観に思いを馳せている。