シンタクラースがやって来た!

毎年この時期になるとやってくる、子供達のスーパーヒーロー「シンタクラース」。
今年も先週の土曜日にオランダに到着、翌日の日曜日にはアムステルダムの街を練り歩いた。

シンタクラース(=セントニコラース)は、ズワルトピートという黒ぬりの家来602人を引き連れ、毎年11月半ばにスペインから蒸気船でやってきて、12月5日のシンタクラース祭に国中のよい子たちにプレゼントを配ってまわり、またスペインへと帰っていく・・・という設定。

そして、このシンタクラースことが、サンタクロースの起原だという説がある。

モデルになったのは、4世紀頃にトルコのミュラという街にいた司教ニコラースだ。聖人となった後には、主に東欧で、その命日である12月6日を祝うようになった。
13世紀にはオランダにも伝わり、15世紀になると命日の前日12月5日を「シンタクラース祭」として盛大に祝うようになった。
暖炉の前に靴をおき、そこにプレゼントを入れてもらうという風習が広まっていったのも、この頃だと言われている。
いつしかオランダ人にとって大切な伝統行事となったシンタクラース祭は、17世紀にニューヨークへ移住したオランダ人と共にアメリカに渡った。
これがいつしかサンタクロースとなり、祝う日も20日後にずれて12月25日となった・・・というのが、この説の概要だ。

↑靴の中にはアメリコをおびき寄せるために、ニンジンを入れておく。

似て非なるサンタとシンタクラース。その最大の違いは服装だ。赤白のカラーリングは同じでも、動きやすそうなカジュアルな上下のサンタとは異なり、シンタクラースの装いは高貴な聖人風。乗り物も、トナカイが引くそりではなく、アメリコという名の白馬だ。

日曜日、朝10時から2時間ほどかけて、シンタクラースらを載せた蒸気船が街の運河を練り周り、中央駅横の海洋博物館に上陸。市長から直々に歓迎の言葉を受けたあと、アメリコにのって街を練り歩く。
しめは、ライチェ広場にある市立劇場のテラスからのスピーチだ。街中の子供達に「いい子でいるように」と語りかけて、シンタクラース到着のパレードは終了する。

これから12月5日までは、国中がシンタクラースムード一色になる。
店や街頭はもちろん、職場や学校にまでシンタクラースとズワルトピットが現れる。
オランダ国営放送では、「シンタクラース・ジャーナル」という子供向けの番組が毎晩放映され、プレゼントの用意でてんてこまいのシンタクラースや、時には大失敗しながらも奮闘するズワルトピートたちの様子を愉快な報道風ドラマで紹介。国中のお祭りムードを盛り上げていく。

8才になる息子が、実は去年、シンタクラースがただのおじさんであることを知った、と告白した。けれども、パパとママをがっかりさせないようにと、気づかないふりをしていたのだ、、と。
そうとは知らず、あの手この手の茶番をしていた私たちを、彼はどんな思いで見ていただろう・・・と、ヒューっと冷たい風が頭をよぎる思い。
オランダの親にとって、子供がシンタクラースを信じなくなる時が、成長のひとつの節目でもある。

モンテソリの小学校に通う息子のクラスは、3学年(6〜8才)で構成されている。
ある時、8才の女の子が教室の中で「シンタクラースなんていないよ〜」とネタばらしをしていると、担任の先生が8才の子供達全員を集めて、「まだシンタクラースを信じて心待ちにしている子供達に秘密をばらすのはよくない。君たちが心からその存在を信じて、楽しみにしていた時のことを思い出し、うまく話を合わせてあげるのがお兄さん、お姉さんとしての役目」と説明があったらしい。シンタクラース祭にかけるオランダ人の思い入れの深さを再認識すると同時に、社会性を育むよいお題にもなっていると感心した。

12月5日の夜に交換するプレゼントには、その相手にまつわる愉快なエピソードを綴った詩を添える習慣があることから、この時期、小学校高学年生は、より面白く、美しく韻を踏む詩の作り方も学ぶ。
たかが詩、されど詩。オランダ人はいくつになっても真剣にシンタクラースの詩を作る。
詩作りが苦手な人は、韻の一覧を掲載した特設サイトなどを活用。それでもだめなら、相手の情報を元に詩を作ってくれる学生アルバイトに頼るという手もある。

こうして、考え抜いた詩で家族の笑いをとることに、オランダ人はいくつになっても本気で燃えるのだ。