ブリュッセル

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ブリュッセル

6月27日、28日の2日間、EU首脳会議の舞台となっているベルギーの首都ブリュッセル。全くの別件だけれど、私も今週は何度かブリュッセルに通った。

アムステルダムからは電車で約2時間50分。特急タリスに乗れば、1時間50分で着く。
自由奔放ながらも管理され尽くされている感が強いアムステルダムから行くと、この街は混沌として見える。
国際列車が発着するブリュッセル南駅の周辺も、几帳面で開発好きのオランダ人ならばこの状態で放っては置かないだろう・・と思わせるような荒れた感じ。

物乞いの多さにも驚く。外国人、移民の数も多い印象。
もわぁっとオシッコの臭いが立ち上る小さな裏路地。そのコーナーのカフェをのぞくと、くたびれた感じの白人のおじさんたちが朝8時からビールを飲んで、すっかりできあがっていた。


ブリュッセルきっての観光名所「グラン・プラス」広場周辺の路地も、まだ薄暗い早朝にはホームレスたちが徘徊していた。だが彼らは一人残らず、明るくなる前にやって来た清掃車と警官に追い払われていった。
おとぎの世界のようなファンシーなブリュッセルだが、ここはフランス語圏のワロン地方とオランダ語圏のフランダース地方に分裂した国の首都。その裂け目にあるこの街には、どうやっても統一できないベルギーの諦めやジレンマといった複雑な感情が、木枯らしのごとく吹きすさんでいる・・・ように感じられた。

アムステルダムとは異なる、マルチカルチュラルな都市

だが私は、そんなブリュッセルが結構好きだ。
この空気感こそが、移民が集まるマルチカルチュラルな都市の自然な姿に見えるからだ。差別し差別されながら、移民が小さな街でひしめいて暮らしている感じ。
義務はさておき権利だけは声高に主張するオランダ的メンタリティとは異なる、あきらめとあいまったしぶとさが、この街にはある。
私自身が移民だからか、他の街に行くと、どうしても移民の暮らしぶりに関心が向く。どこの街でも、彼らの様子からは「街の本音」がうかがえるからだ。

今回は、この街でふたりの人物に会った。
一人は、シリア生まれのパレスチナ人女性。市内の病院で医師として働いていた。
もう一人は、シリア系トルコ移民の2世の男性。執筆家であり、活動家だ。
彼らの生い立ちや幼少時代の話、シリアにいる家族の話などを聞き、どこか「遠くの国での出来事」という感がぬぐえなかったシリア紛争が、一気に「隣人の惨事」に感じられた。
パレスチナ人の女性は、「自分の生い立ちから、当然のこととしてシリア問題に取り組み、呼びかけをしている。ブリュッセルは混沌としているけれど、真にマルチカルチュラルな街。活動の拠点としてもよい街だし、人々の理解も深い」と言う。
男性の方は、トルコのアンタキアという街を故郷とする人。両親がアンタキア出身のシリア系で、「子供の頃は、休暇の度にアンタキアへ行っていた。ユダヤ人、クリスチャン、ムスリムが平和に共存する美しい街だった。だが今では、世界中から集まるジハーディストのトレーニングキャンプができ、シリア前線へのゲートウェイになってしまった」と言っていた。


移民が集まる街には、世界中の問題が集まる。偶然の巡り合わせで隣人となった遠い国の人々の話に、私はもっと耳を傾けていきたい。

追伸:
写真は、ジュ・ド・バル広場。有名な蚤の市がある。オランダ語名はフォッセンマルクト。身寄りの無い故人の家財道具を一切合切広場に並べているような雰囲気で、見知らぬ人のアルバムや写真、不気味な絵などが売られている。個人的に、ブリュッセルの一押しスポット。