映画「みんなのアムステルダム国立美術館へ」に登場する仁王像のふるさと 2

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古文書によれば、岩屋寺の創建は8世紀にまで遡ると言う。


由緒ある真言宗の寺で、廃寺になっていなければ、少なくとも重要文化財にはなっていただろう険しくも美しい佇まい。
アムステルダム国立美術館が誇る立派な仁王像は、この寺の番人だった。

映画の中で国立美術館学芸員のメノーさんは、仁王像の入手までの流れについて「なんだか曖昧で奇妙な話があった」と言葉を濁して多くを語っていない。

昭和40年代後半か50年前後、この2体の像は忽然と仁王堂から姿を消した。
「昼間あんな大きなものを動かしていたら目立つから、夜中こっそりと持ち出されたんだよ」と言う地元の長老の話を聞いていると、なぜメノーさんがあんな風に言葉を濁すのかがわかった。なんともやるせない事情で、村のみんなが「国宝級」と崇めた仁王像は、二束三文で売却されてしまったらしい。つい最近になるまで、アムステルダムの美術館にあるなんて村の人たちは知らなかったよ、と長老。駅の待合室で話を聞かせてくれていた彼に、PCに入れておいた開眼式の時の写真をお見せする。
「2体ともアムステルダムにあるのかい!?」と驚く彼に、国立美術館の目玉のひとつとして、来館者を喜ばせていると伝える。
「仁王堂の中にあった時は、暗かったし、下から大きく見上げるようにしか姿を拝めなかったから、こんなにちゃんと全姿を見たのは初めてだよ。やっぱり立派だねぇ。返して欲しいねぇ。だが、ここに戻ってきても誰も管理はできないから、美術館で大切にされているのが一番いいんだろうねぇ」

その昔、あの寺は賑わっていた、と長老は振り返る。
「お祭りの時には、本堂へ続く長い石段の両脇に出店がたって、そりゃあ賑やかで楽しかった」。
その石段には今、空になった蜂の巣や、落ち葉が積もっていた。
だが本堂の横には随分と新しいほうきがたてかけてあり、時々掃除に来ている人がいるようだった。

美術館には、世界中の宝が集まっているが、改めて見直すと「なぜここに?」と考えさせられるものも多い。
この仁王像もそのひとつ。
お金が動いて、美術品が流れる。
シリアやアフガニスタンでは、無情にも破壊されてしまう文化遺産がたくさんあることを思えば、芸術鑑賞を愛する先進国の美術館で大切に所蔵されるなら幸運・・と言えるのかもしれない。

それでも、深い信仰の対象として畏れられてきた寺の番人が、まるで夜逃げのように姿を消し、闇ルートでアムステルダムへ渡ったかと思うと、腑に落ちないしやるせない気持ちになる。

とにもかくにも、この2体の仁王像にとっては、たくさんのドラマが詰まったアムステルダム国立美術館が、終の棲家なのである。

追伸
運転手さんと二人で重装備で山に入ったが、幸いまむしにもスズメバチにも遭遇しなかった。
運転手さんは同年代の女性。彼女のお父さんは岩屋寺の近くのご出身とのことで、ずっと電話を介して道案内をしてくださっていた。
これまでにも随分と日本国内を旅行をしてきたつもりだけれど、岩屋寺周辺の風景は、私の中では最も日本らしさを感じさせる場所のひとつ。まさに「ザ・日本」。


廃寺とは言え、寺を囲む森には、今でも八百万の神々が宿っているに違いなかった。

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