49日の謎が解けたとき

49日の謎が解けたとき

3月の終わり、昨年亡くなった母の納骨をした。

本家のお墓と、生まれ故郷とに分骨してねとの遺言だったが、彼女の故郷は遠いので次回の来日にまわし、今回はとりあえず本家のお墓のみ。
プラス、庭にも一握りほど埋骨する。
庭の主、ここに(も)眠る。
母が(父かな・・?)丹精こめて育てたバラや椿が、これからもますますきれいな花をつけますように、と手を合わせる。

数えるほどしかない私の子育てモットーのひとつに、日本の儀式(特に死生観にまつわるもの)は、できる限り息子に体験させ、たくさん写真を残すというのがある。
今回納骨には連れて行けなかったので、撮ってきた写真を見せながらその終始を説明する。

「うちはちょっと間に合わなかったけど、ふつうは49日でお骨をお墓にいれるんだよ」と私。
すると、速攻「なんでそんな半端な数なの?」というグッドクエスチョン。

説明できず、慌ててググる。

初めて知った、49日の意味

人は死ぬと、7日毎に合計7回神様に裁かれる。生前のよろしくなかった行いをリストアップされる、減点式の裁判のようなものらしい。高ポイントで7回のお裁きをクリアしていけば、いい感じで次の世に転生できるが、ポイントが低いと動物や昆虫に転生してしまうこともある。故人をそんな目に遭わせないためにも、お裁きがある日には、この世の遺族が一生懸命お祈りをしてポイントを稼ぎ、あの世での減点分を補う。49日目は最後のお裁きの日で、故人はようやく進路も決まり来世へと旅立つ。で、その日に納骨をする、、ざっくり言うとそんな感じらしいよと説明すると、隣で聞いていたダンナと共に息子大笑い。
「じゃあ、お通夜やお葬式でやったガッショー(=合掌)っていうのも、オーマ(おばあちゃん)のポイントのためだったの?」という息子の目は、まん丸。

異文化の習慣とは、時に突拍子のない冗談にしか聞こえないこともあるものだ。

あの世との距離

だが、死んだ人たちが行くあちら側の世界と、自分たちが生きているこちら側の世界の間で、かなり密なインターアクションが続くという非オランダ的なアイディアには、息子もまじめに驚いていた様子。

死んだおじいちゃんやおばあちゃんが、自分たちのことを見守ってくれるだろう的な発想はここにもある。だが、故人の冥福は不確定だから、その助けとなるようこちらからもしっかりエールを送らなければならない、なんて考え方があるとは思いも寄らなかったらしい。

オランダとは全く異なるあの世との距離感や関係性を、私も改めて再認識した。

息子には、(とりあえず今のところは)そんな違いをうっすらとでも実感してもらえたら、今回の私のミッションはコンプリートである。

納骨の法要が終わると、「お坊さんさ、空になった骨壺と木箱はどうすりゃええんじゃ?」と父。
「骨壺は割って燃えないゴミ」と坊様が答えると、
「じゃあ、木箱は壊して燃えるゴミかいな」(父)
「そう、その通り!」(坊様)

この問答の話も、ダンナと息子にはかなりウケた。