Vincent van Gogh 2 (from update-NL)
900通の書簡が明かにした、ファン・ゴッホの芸術観
レオ・ヤンセン:
私を含めて3人の研究者が、フルタイムで15年間、ファン・ゴッホと交わされたもの、ファン・ゴッホについての記述がある合計900通を超える書簡を研究し、昨年全6巻の書簡全集と研究用のウェブ・サイトにまとめました。
この研究は、ファン・ゴッホの芸術観をよりいっそう明かにしました。彼は、エリートの特権という芸術のあり方に否定的で、一般の人々が心から共感できる絵を描くことを目指していました。

「馬鈴薯を食べる人々」 1885年作,アムステルダムファン・ゴッホ美術館所蔵。「勤労で質素な農民の生き方について考えずにはいられなくなるような絵にしたい。誰彼なしに、美しい絵だ、と思わせるような絵を描こうとしているのではない」(テオへの手紙より)
モチーフにしていたものも、農民、日常的な花瓶やポットなど質素なものばかりです。「人生も絵画も、シンプルで正直であるべきだ」と考えていたからです。自然なままのもの、より自然に近い存在こそ美しい。そして美しくしようと優雅さや豪華さを目指すにつれて「自然」からかけはなれていってしまうといって否定しました。このような信条の背景には、キリスト教的ビジョンがあります。父親は牧師でしたし、彼自身も牧師になろうとしていた時期があったくらいですから。
その信仰心は少しずつ薄れていくものの、「人生とは、使命を果たすために授けられるもの」という宗教的な人生観を失うことはありませんでした。フィンセント・ファン・ゴッホという画家が抱いた使命とは、絵画を通して一般の人々に「人生の慰め」を与えることでした。芸術活動を通して、世の中に貢献したいと願っていたのです。
ファン・ゴッホの一番の才能は、最も根源的な人生の意味について深く考え、そこから焦点をぶらすことなく追求し続ける力
とても自分に厳しい人で、描いた絵に満足することは希でした。ヌーネンの小屋、馬鈴薯を食べる人々、そしてアルルの寝室などは「満足がいく作品」と手紙に書いていますが、それは例外的なことです。人生の最後には、自分は所詮二流の芸術家で、大した結果を出すことはできなかったと悲観する手紙も書いています。
私はよく講演をしますが、その度に多くの人から「ファン・ゴッホの絵のどのような部分から、彼の狂気を読み取れるか」と聞かれます。これが大きな誤解であることを、私はみなさんにお伝えしたい。彼が精神病を患っていたことは事実です。しかし、病状が悪い時期には、彼は絵を描くことはできませんでした。つまり精神病のフィンセントと、芸術家のファン・ゴッホは、決して同時に存在することはなかったのです。どんどん悪化していく病状を嘆いた彼は、精神病の悪化が芸術活動を妨げるようになり、以前のように制作できる時間が減ってしまったという手紙も書いています。今回の研究結果も、絵のトーンや主題がその時々の病状を反映していると考えるのは間違いだということを教えてくれています。
実際のファン・ゴッホは、「衝動的に描く画家」という世のイメージとは全く逆に、制作の前に目標や芸術的な挑戦をはっきりと打ち立てて取り組む非常に計画的なアーティストでした。
綿密に計算したプランに従って、各ステップを確実に実践する。
そして、一筆一筆じっくりと考え見極めながら、慎重に描きました。
彼が到達しようとした目標、そのために自分に課した課題やプランなどについても、手紙に詳しく記されています。
私はファン・ゴッホとの間で交わされた全ての手紙を読み、研究しました。
その中で印象に残っているのが、長い年月にわたって様々な人々と手紙を交わしているのに、親しみや愛情を込めた言葉をかける人がいなかったことです。彼は、とても自己中心的で、自分がやりたいと考えることこそ「なさらなければならないこと」と考え、それを人にも強いていました。
それゆえに、長く続く良好な人間関係を築くことができなかったのです。
全ての手紙を研究したあと、私自身も、決してフィンセント・ファン・ゴッホと友人づきあいはできなかっただろう、と思いましたね(笑)。
しかし、一研究者として驚かされるのは、ファン・ゴッホの、非常に豊穣で多面性のある内面世界です。人生や芸術、そして文学などに関しても、とても洞察力のある解釈をすることができる人でした。そしてそのビジョンを非常に美しく、平たい言葉で、的確に表現する類い希な文才も持っていました。優れたジャーナリストでもあったのです。

「サン・ポール精神病院の庭」1889年作
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館所蔵。
1年あまり療養していた、サン・レミの精神病院の庭。この精神病院では、現在でも患者に積極的に創作をさせる「アート・セラピー」が行われていた。
私の目からみると、ファン・ゴッホの一番の才能とは、「最も根源的な人生の意味について深く考える能力と、そこから焦点をぶらすことなく追求し続ける力」だと思います。
最初期の絵を見ればわかりますが、当初彼には巨匠になる技量などありませんでした。どう見ても「たいしてうまくない」のです。
それでも粘り強く努力することで不可能を可能にしていきました。執念のような努力を積み重ねていく中で才能を開花させ、天才として後世に名を残したのです。
これは彼の絵を見て感動する私たちにとって、とても勇気づけられる提案ではないでしょうか。